2012年3月9日金曜日

― 加川文一 『海は光れり』―

海は光れり
     

貧しさを時に歎けど吾が世帯
     こまごまと物のふえていくなり(桐田しづ)

丘より見ゆる海は青し
夏の畑につくりし
胡瓜のごとき色を
にがく走らせたり

海はひねもす
わが乾ける瞳を刺し

われは此処に住みて
はや四年(よとせ)となりし
わが生活はまづしけれど
まづしさも己のものぞと
一筋にがき海に向かひて
語りきたれる

妻よ
今日も海は光れリ
人の住む陸を抱きて
するどく海は光れり

 
この詩の冒頭は夫人の短歌に始まっているが、文一がこの詩を吟じるモティーフとなったのが、紛れも無く夫人の歌であった。読み比べてみると分かるように、定型詩と自由詩の違いはあるものの、シチュエーションが全く同じである事に誰もが気付くであろう。夫人の短歌は生活苦を楽天的に表現している。文一はその歌に応えるようにして詩を綴るのであるが、そこは明治の詩人らしく、気骨な男ぶりを瞬かせながら書き始められている。

一連目は文一のジレンマの告白である。多分、父親の仕事であった農作業の手助けをしていた時分に、眼に焼き付いた胡瓜の色と海原の色彩で、心に絡まる「葛」と「藤」を比喩したのであろう。やがて文一は巨海から刺激を受けて目覚めていく。二連目の終わりである。

「貧しさを時に歎けど吾が世帯」と三連目の「わが生活はまづしけれど まづしさも己のものぞと」とは一心同体であるが、結びは夫婦の絆を超越した新生な包容力へと飛翔していく。即ち、最終連では「にがい」という否定的概念が打ち消されており、詩人の眼、いや文一の魂は、太平洋を見下ろす丘から遠く離れて、逆に洋上から陸地を見詰めて妻に語っているのだ。
 
この四連目の原動力となっているのは、天真爛漫な内助の功である。文一は自らするどく光る海となって、大陸もろとも愛する妻を抱擁したのである。またこの詩は、三十路を迎えた文一の、新たな男の誓いでもあった。



かがわぶんいち(1904~1981)山口県出身、詩人。14歳の時、父親の呼び寄せで渡米。カリフォルニアのパロアルト市で父の仕事を手伝いながら、スタンフォード大学の寄宿舎で働いた。独学で日本語と英語の研鑚を重ねながら詩作に励み、26歳(1930)の時に、スタンフォード大学教授で文芸評論家のイヴォアー・ウインタースの序文を得て、英語の処女詩集『Hidden Flam』を上梓した。戦時中は収容所内で発行されていた文芸誌『鉄柵』で活躍、戦後はロサンゼルスの日系文壇のリーダー的存在となって、精力的に詩や随筆を発表していった。

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